令和4年元旦の風景

令和4年元旦。前日は雪の予報もあり、登山道の凍結んど心配されました。予想通り極寒、最低気温前日予想はマイナス3度でした。

西の空は明るさが現れ、初日の出を待望しましたが、ついに初光を拝むことは出来ませんでした。

この明るさを令和4年元旦初日の出と認定!!

外鎌山への誘い

大和朝倉駅前の外鎌山登山案内

山頂東下に設置の道標で、西の方に下山し朝倉台7丁目に降りることができる。

この標識の奥は道が荒れていますので、回避が賢明です。

展望案内板をリニューアルしました。

頂上からのパノラマ

要注意外来生物のひとつトウネズミモチ。繁殖力が強く在来種を駆逐する。

近鉄大阪線「大和朝倉駅」前に設置

神武天皇と外鎌山

 初代神武天皇の東征は九州高千穂に端を発し、瀬戸内を東上。大坂は今の石切のあたりで上陸を試みたが、長髄彦(ながすねひこ)に阻まれ紀伊水道を南下、熊野のあたりに上陸した。八咫烏(やたがらす)の先導を受け辿りついたのが忍阪。ここで再び長髄彦と戦いついに勝利。しばらく忍阪に居城する(意紫沙加宮おしさかのみや)も橿原宮にてに即位された。今年西暦2015年は、神武天皇即位紀元2675年に当たる。

 神武天皇が本土で落ち着かれた最初の地が忍阪付近で、現在の生根神社のご神体は背後の宮山(外鎌山の南東高地)で、社殿の奥は「窓」になっていて本殿の設けはないという。

 

外鎌山(とかまやま)
 国土地理院では、外鎌山を旧版で「高間山(タカマヤマ)」として記され、標高292・38mとしていました。『大和志料・下巻』や『磯城郡誌』には、恩坂山(おしさかやま)として次のように記されています。
 『恩坂山(おしさかやま)は、城島村大字忍坂ノ東ニアリテ慈恩寺龍谷ノ二村に連互ス、支別ニ高圓山(タカマドヤマ)小倉山(オグラヤマ)あり』と…。
 また、「敷島の高圓山は慈恩寺の南龍谷にあり…」と記されています。このことから「恩坂山」とは、外鎌山(高圓山)・小倉山を含んだ全体の山のことのようです。現在は外鎌山(愛称朝倉富士)です。

外鎌山(とがまやま)について
                                                                             (三等三角点 別称 高間山)
 近鉄大阪線・大和朝倉駅下車徒歩35分余。(地図参照)
 改札を出て左へ、朝倉駅のロータリーがあり、すぐ登りのカラーアスファルトの道が見える。これを100mほど行くと、陸橋があり正面に階段がある。ここを左に50mで小さな3号公園がる。この公園の中央の道をさらに50mほど上ると、右手に朝倉台の集会所が見え、その奥に交番がある。前の大きな道を渡り、すぐ山手に上がる道をとると左に4号公園。公園を左に見つつ突き当たりまで上る。突き当たりを右へ。10mで左に向きを変えると登山口の標識が見える。また大きな水道の貯水タンクも見える。駅からここまでゆっくり15分。ここから20分も上がれば頂上に着く。西は遠く岩湧山、金剛山、東は生駒山まで遠望可能。
 まず目に入るのは東端の「南無妙法蓮華経/南朝忠臣/西阿(さいあ)公之墓/戦没勇士一同」という1m余の台座に2m余りの碑である。「大和国条里復元図』を見ると、ここは外鎌山城とあり、平凡社『奈良県の地名』も忍阪山(おっさかやま)・小倉山とも呼び「南北朝時代には南朝方の戒重西阿(さいあ)西阿(さいあ)の山城があった」と。
 碑の裏面に昭和45年7月法華日蓮宗の東野文子・林かめのが建てたとある。『大和タイムス』(現奈良新聞)を見ると7月2日の2面に「桜井市慈恩寺東野フサエさん他一名が発願して吉野朝の忠臣西阿の碑を、このほど西阿自刃(じじん)の地桜井市東部の朝倉富士外鎌山頂上に建てた。除幕式は命日に当たる3日頂上で(中略)行われる」云々と「忠臣『西阿』の碑、桜井の外鎌山頂上に」の見出しである。  
 西阿は平凡社『日本人名辞典』、新人物往来社『鎌倉・室町人名辞典』にも出ており、南朝の忠臣であった。『桜井市史』にも中世史の所で、西阿の活躍が6ページも詳しく載せられている。三輪西阿とも開住(戒重)西阿ともあり、同一人か別人か議論の分かれるところだ。
 さて、三角点は碑の反対側(西端)にある。また、この山は横大路の基準となっていると、県教委『横大路(初瀬道)』にある。西方から見るとひときわ際立って見えるから、古代人の目にも、一つの目標として見えたのだろう。(『大和タイムス』(現奈良新聞(91.9.13連載⑪参照)
                   「大和の三角点を尋ねて」下巻 上田倖弘著 平成12年(株)武揚堂」から。


 平成26年8月現在、登山道は立派な標識とともに地元有志により整備ずみです。登山口は朝倉台6丁目の水道タンクを目指して来れば、向かって左の斜面に道標あり。


平成27年8月16日早朝5時43分。ご来光に外鎌山の影が鳥見山の裾に映える。